物を作って売り出すまでには長い時間と多くの人の手が必要です。フェアリー・フェザーも我々の力だけではなく、糸を染める会社や糸を撚糸する会社、生地を精錬してくれる会社が惜しみない協力をしてくれて初めて出来上がったものです。震災後『絆』という言葉を多く耳にするようになりましたが、この布はまさに絆の集大成だと思います。
夢は、パリのオペラ座のような伝統ある劇場で、弊社の生地が舞台衣装として使われることです。「妖精の羽」が夢をのせてどこまで高く飛んでいくのか…。かつて日本製の絹のスカーフが世界中で人気を集めたときには産地の川俣町の名前は輸出港の横浜の影に隠れてしまいました。しかし、今度こそ「齋栄シルク」が世界を変えていける事を信じて活動をしております。